浅野レーシングサービス

TOYOTA GR86(ZN8)

ENEOS スーパー耐久シリーズ 2023 Powered by Hankook
第 2 戦 NAPAC FUJI SUPER TEC 24 時間レースac

◾️開催地:富士スピードウェイ ◾️開催日:2023/5/26-28

■5/26 予選:7位
Aドライバー浅野武夫:2分00秒931 / Bドライバー伊藤慎之典:2 分 00 秒 122


【フリー走行・予選】
2023 スーパー耐久シリーズの第 2 戦、富士 24 時間レースは 5 月 26 日~28 日に開催された。HANKOOK のモータースポーツ用タイヤ工場が火災となった影響で、今回のレースは DRY タイヤが BRIDGESTONE 製、 WET タイヤがHANKOOK 製となり、チームはの 4 月 28日に実施された事前テストにて新ドライタイヤ、 POTENZA RE-12D のライフ確認とマシンセットアップを行った。市販ラジアルタイヤながらコンディションを選ばないグリップ性能を耐久性を確認したチームは、レースウイークの 5 月 24 日水曜日から、NEW エンジンの調子を見ながら前戦鈴鹿のものをベースにリアサスペンションを中心としたマシンセットアップを進め、夜間占有走行も利用して今回スポット参戦となる C~F ドライバーのマシン・タイヤ習熟を行った。
タイヤの変更の影響か、新品時や路温上昇時のタイムは昨年と比較すると各車さほど伸びが見られないなか、WedsSport GR86 はトップチームとタイム差が縮まった様に思えていたが、26 日金曜日の A・B ドライバー予選結果は 7 位と厳しいものとなった。しかし、タイヤライフはダブルスティントを十分にこなせるレベルであり、何より各ドライバーのマシンとレースの習熟が進み、コンスタントなラップを淡々と刻めば、長丁場の 24 時間レースでは上位を伺えると手応えをつかみつつ、チームは 27 日土曜日 15 時~の決勝レースに向けてレース戦略を検討しつつ、ピットワークの確認やマシンメンテナンスを進め翌日に備えた。

■5/27・28  決勝:3位
浅野武夫:146 周 伊藤慎之典:142 周 澤井良太朗:87 周 西村和則:41 周 鈴木翔也:139 周 三上和美:49 周 

24 時間の決勝レースでは、昨年と異なり給油は容量20L の指定給油ボトル使用となり 1 回のピットスト ップでの最大給油量は 3 本 60L まで、また 110 秒のピットストップが課せられることとなる。また A ドライバーの最低運転時間はレース時間の 15%以上となった為、浅野は 3 時間 36 分以上の走行が必要とな った。14 時 59 分、気温 22℃、路面温度 44℃ドライコンディションで 24 時間の決勝レースは始まった。スタートドライバーの浅野は 7 位からコンスタントに 2 分 2 秒~4 秒台でラップし、前を行く 60 号車を追いかけてゆく。5 周目にはその差 1 秒となるが 60 号車も粘りの走行を見せ一進一退の攻防が続く。15 周目にはその差 3 秒程をキープ、トップはレース序盤に884 号車をオーバーテイクした 86 号車で、2 分フラットのハイペースで飛ばしてゆく。41 周目には 60 号車との差は 1.6 秒まで縮まり、44 周目にはその差 0.1 秒、45 周目にはついに 60 号車をオーバーテイクして、884 号車と 3 号車のピットインもあり浅野は 4 位へ浮上した。

浅野は 54 周を走りピットイン、澤井へと交代するとボトル給油 3 本とタイヤ 4 本を交換してピットアウトした。澤井は 60 号車と 7 秒差の 5 位でコース復帰すると、徐々にペースアップして走行を重ねるが、このスティントは 60 号車が速く、次第にその差は開き、87 周目にはその差 57 秒となった。104 周目、澤井から「エンジンストップ」の無線が入る。燃料を吸いきれないトラブル発生が疑われた為、ピットは澤井に追加フューエルポンプのスイッチ ON指示を出しすとマシンは再度動き出し、澤井はピットイン、伊藤へ交代した。伊藤はボトル給油 3 本とタイヤ 4 本を交換してピットアウトすると、タイムロスは約 2 分 30 秒程で 6 位でコース復帰、伊藤は 2分 2 秒~5 秒台でラップを重ねた。126 周目の段階で 5 位 60 号車とは約 2 周差となるが、138 周目、FCY 導入から SC ランとなった為伊藤はピットイン、ボトル給油 1 本でピットアウトした。

しかし 24 時間レースは他レースと異なり 1 本給油時のピット滞在時間も 110 秒というルールであり、チームは不足時間の 53 秒のペナルティストップを受けてしまう。そのまま 139 周目~147 周目は SC ランとなったため、伊藤は再度ピットイン、鈴木へと交代するとボトル給油 2 本とタイヤ 4 本を交換してピットアウトした。鈴木は 156 周目にペナルティストップを消化すると、 2 分 2~5 秒台で安定して走行を重ねた。190 周目には 5 位 41 号車に約半周差で 6 位で走行を続ける鈴木は 198 周目にピットインすると西村へと交代、ボトル給油 3 本でピットアウトした。西村は 6 位でコース復帰するとコンスタントに周回を重ねる。239 周目、西村から「エンジンが吹けない」の無線が入る。計算上、20L 程は GAS が残っているはずの為、チームは原因を掴めない中、追加フューエルポンプのスイッチON 指示を出し西村はピットイン、伊藤へと交代するとボトル給油 3 本とタイヤ 4 本を交換してピットアウトした。しかし、再度伊藤から「エンジンが吹けない」との無線が入る。

伊藤はピット BOX にマシンを入れるとチームはマシンをチェック、燃料漏れとセンサー故障を確認してマシン修繕に入った。伊藤がピット BOX にマシンを入れると同時にコース上では 884 号車の車両火災が発生、FCY から約 30 分間の SC ランとなった。10 分間のメンテナンスタイムをここで消化したチームは約 36 分間でマシンを修繕すると伊藤は 7 位でコース復帰した。完全に修復されたマシンで伊藤はコンスタントに周回を重ねる。22 秒差の 6 位には 66 号車ロードスターRF、伊藤は懸命に前をゆく 66 号車を追う。248 周目、884 号車がリタイアの為 6位となると 249 周目には 3 号車がストップ、5 位へと浮上する。伊藤は 264 周目 2 分 2 秒 177 のベストタイムを出すと、2 分 2 秒~4 秒台で周回を重ねた。 280 周目には 4 位 66 号車から約 30 秒遅れとなるが、283 周目には 66 号車が FCY 中のピットインのためペナルティストップ 60 秒となり逆転、4 位へ浮上した。294 周目、伊藤はピットインして鈴木へ交代するとボトル給油 3 本でピットアウトした。鈴木もコンスタントに周回を重ねたが、320 周目、86号車のクラッシュにより FCY 導入、322 周目には SCランとなり、そのまま 325 周目の午前 3 時 36 分にレースは赤旗中断となった。

夜が明けた午前 5 時にレースは再開すると、その周の 326 周目に鈴木はピ ットイン、浅野へと交代するとボトル給油 3 本とタイヤ 4 本を交換してピットアウトした。浅野は安定して 2 分 2 秒~4 秒で周回を重ねた。336 周目、ここまでノントラブルで 1 位を走行する 60 号は FCY 中のピットインのためペナルティストップ 60 秒となるものの、341 周目の順位は 1 位 60 号車、2 位 41 号車、3 位 66 号車で、浅野は約 35 秒差の 4 位となる。66 号車が 350 周目にピットイン、浅野は 3 位へ浮上した。66 号車ロードスターRF は燃費が良く、最後のピットインを済ませたタイミングでは 18 号車の前に出ると思われたが、浅野はベストを尽くしてマシンをロス無く走らせてゆく。380 周目浅野はピットイン、今回久し振りのレース復帰となる三上に交代するとボトル給油 3 本でピットアウトした。三上は安定した走行を披露、49 周を走行して 429 周目ピットイン鈴木へ交代するとボトル給油 3 本とタイヤ 4 本を交換してピットアウトした。 

449 周目、41 号車がマシントラブルのためピット BOX へマシンを入れるとそのまま修復に入った。452 周目、鈴木は 3 位へと浮上する。479 周目に鈴木はピットイン、澤井へと交代するとボトル給油 3 本でピットアウトした。澤井は自身 2 度目のスティントを走り出すが、482 周目にはスピンを喫し、なかなかタイムを上げる事ができない。徐々にリズムを取り戻した澤井はタイムを回復するが、ここでチームは定期交換できていなかったブレーキバッド交換を決断、澤井は予定より早めの 516 周目にピットインして伊藤へ交代するとフロントブレーキバッド交換と合わせてボトル給油 3 本とタイヤ 4 本を交換してピットアウトした。伊藤は 5 分 36 秒のピットストップでコース復帰すると、2 分 3 秒~4 秒台で周回を重ねた。伊藤は 565 周目にピットイン、最後のスティントを浅野へと託した。ボトル給油 3 本でピットアウトした浅野も同じく 2 分 3 秒~4 秒台で安定して周回を重ねた。そして 15 時 00 分、浅野はチーム内で誰よりも多い合計146周を走行し、WedsSport GR86は TOTAL604周を走破して、TOP と 10 周差、2 位と 4 周差の 3 位で荒れた 24 時間レースのチェッカーを受けた。 

【チーム監督コメント】

浅野 真吾

「年に一度の 24 時間。緊張と期待、そして興奮を感じながらのレースウィーク。フリー走行ではトップの 2 秒落ち。ただ 24 時間の戦い方はマシンを壊さずしっかりゴ ールまで繋いで行く事。ドライバーには徹底してマシンへの労り方、他車との接触には注意してもらいました。決勝では多少のメカニカルなトラブルは出たものの、ドライバー、メカニックには本当に素晴らしい仕事をしていただき、その結果、3 位表彰台は自分にとっても チームにとっても嬉しい結果にはなりました。スポンサー様を初めとして、ドライバー、メカニック、スタッフ、そし応援していただきましたファンの皆様、心から感謝いたします。ありがとうございました。まだシ ーズンは始まったばかり。優勝目指して頑張ります。」 

【ドライバーコメント】

浅野 武夫

「24 時間レースが難しい事は分かってはいるのですが 今年はドライバーも変わりどの様な展開になるか予想がつかない中、 練習・予選と無理せず 86 のセット出しに専念して、決勝に向け集中する事にしました。スタートしてからはペース配分を考え、各クラスの走りを確認しながら走行し、どの車両も無理せず 24時間後のチェッカーを目指す走りをしているのが分かりました。 さて、実際 70 歳になった自分が何処まで走り切れるのか、と不安と楽しみの中でのドライブでしたが、自分の想定したタイムでは走れず、もっと練習の必要性を感じています。スタッフや応援してくださる方々の為にも頑張って走って行きます。これからも 応援・サポートしてくださる皆様の期待に応えるように頑張っていきますので、応援よろしくお願いいたします。」

伊藤 慎之典

「今回の富士からはタイヤメーカーが変わり、さらにスリックからラジアルといった変更もあって、前回の鈴鹿で見つけていた車のセッティングとは大幅に変えて挑みました。走行が水曜日からあったのでなるべく車に負荷を掛けないようエンジンの回転数やシフト操作に気を遣いながらテスト走行を重ねていきました。金曜に迎えた予選では 2 周計測しましたが両方ミスをしてしまいました。土曜からの決勝では 1 スティント目から 5 速が渋いから労って走ってくれとの無線が入り、3 スティント目に自分が乗った感触では 24 時間はもたないと思いましたがその後ドライバー全員が労りなんとか完走できました。途中トラブルもありましたが他車との接触はなく走り切れたことで3 位という結果が付いてきたのだと思います。次戦のSUGO では予選の課題を克服出来るようシミュミレータ ーなどでトレーニングをして挑みます。次戦も表彰台目指して頑張りますので応援よろしくお願いします。」 

澤井 良太朗

「個人的には 2 戦目のスーパー耐久。初の 24 時間レースとなりました。前戦と比較すると個人個人のスティント、乗車時間が延び、長丁場のレースになるため、路面やマシンの状態が全く違う中でのドライブが予想されました。私のスティントはレース開始から 2 時間後と 20 時間程度が経過した時点を担当。マシンの状態は、ブレーキパッドの残量に課題を抱えながらのドライブとなり、制動力には不安がありましたが、そこまで大きな変化は見られませんでした。問題は路面で、開始 2 時間と20 時間後では、タイヤカスの量や他マシンをドライブするドライバーが違ったりと不安材料が多く合わせこむことに苦労してしまいました。終盤にはなんとか挽回できましたが、新たな課題を見つけられたレースとなりました。一つだけポジティブな要素は、ドライバー全員がマシンを 24 時間走らせられたという点です。今回の 24 時間レースでは、改めてモータースポーツはチームスポーツだということを再確認することができました。他のチームのトラブルありきとは言え、クラス 3 位という結果はチーム一丸となれた証だと思います。応援ありがとうございました。」

西村 和則

「この富士 24 時間レースで 3 位表彰台が獲れた事は、チーム全員が 24 時間集中して頑張って戦ってくれたおかげだと思います。本当にチームの皆さんには感謝しか有りませんし、本当にお疲れ様でしたと言いたいです。ドライバーとしても、決勝レース途中でマシントラブルやペナルティでのロスは有りましたが、他車との接触、マシンを壊さない事をドライバー全員でしっかりと 24 時間レースで成し遂げられた事は表彰台を獲得する為に必要なステータスだったと思いますし、ベストを尽くせました。個人的には、まだまだドライバーとしての力不足を感じますので、また乗せて頂く機会があればさらにチームの力になれるよう、頑張ります。応援有難うございました。」 

鈴木 翔也

「初のスーパー耐久、初の 24 時間レース参戦となったレースウィークでした。 タイヤがラジアルへ変更になった為、浅野選手、伊藤選手がセッティングを試し自分が走行する際は車への慣れと他クラスへの配慮を意識しました。金曜日の予選も E ドライバーのタイムはポジションに影響しないので車の確認、労わる事を重視し走行しました。決勝では夜間を含む 3 スティントを走り、トラブル無く次へ繋ぐ事を優先に落ち着いて周りの車を見ながら走る事が出来ました。ラップタイムやレースペースなどの課題もありましたが、完走さらには 3 位表彰台に立つ事ができ嬉しいデビュー戦になりました。次戦以降の参戦はまだ未定ですがこの経験を活かし努力し続けていきたいと思います。チームの皆様。一緒に走ってくれたドライバー、車両。そして応援して頂いた方々への感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。」 

三上 和美

「今回は 24 時間耐久レースに参戦のチャンスをいただき、ありがとうございました。今回のレースは私にとって、生涯忘れられないものとなりました。浅野レーシングサービスとの出会いは、私が 19 歳くらいの時に峠でドリフトをしてクラッシュをした際、友人に「腕の良い板金屋さんがあるよ」と紹介していただいたのがきっかけでした。レースに全く興味なかった私に走る楽しさを教えて下さったことが、その後 21 歳の AE86 によるデビューに始まり、スーパー耐久、JAF-F4、ポルシェカレラカップ様々なレースへの参戦へと繋がり、結果としてプロドライバーになることが出来ました。全てが浅野武夫氏と、浅野レーシングサービスのおかげです。その後は体力や自分の才能の限界を感じ引退しましたが、昨年浅野武夫さんと再会したことをきっかけに、紆余曲折を経た結果、今度は趣味で楽しく走る「ジェントルマンドライバー」として、サーキットに戻ることとなりました。 しかし戻るとは言っても、ギャップは 20 年。大急ぎでどんなにハードな練習をしたところで、出場するのはーパー耐久で、そしてマシンはグループ A 時代カラーの GR86 なのですから……相手が大き過ぎます。レース本番では、やはり付け焼刃の練習ではGR86 の性能を完全に引き出すことが出来ず、ラップタイムも満足の行くものではありませんでしたが、チームメイトとメカニックさんのおかげで3位表彰台という望外の結果を得ることが出来ました。この結果は、私にとって本当に奇跡的な事だと思います。今回の戦いは数あるレ ースの一つではなく、本当に特別で、人生で一番のチャレンジでした。レース後に嬉しくて泣いたのは、初めてです。次回も参戦のチャンスをいただけるとしたら、もっと練習して、タイムアップして、チームメイトとのタイム差を無くしていきたいと思っています。今回のレースを通じて、「浅野レーシングサービスは本当にすごいチームだ」ということを、再認識することが出来ました。最後になりますが、引退した私を快く迎え入れてくださったこと、深くお礼申し上げます。」

第1戦 SUZUKA
S耐

2023/3/18-19

#

第2戦 富士SUPER TEC
24時間レース

2023/5/26-28

#

第3戦 SUGOスーパー耐久
3時間レース

2023/7/8-9

#

第4戦 スーパー耐久レース in オートポリス

2023/7/29-30

第6戦 スーパー耐久レースin岡山

2023/10/21-22

第7戦 富士

2023/11/11-12

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